2007年10月18日

夢叶う

あなたには あなただけの大切な意味がある

重ね行く歴史は思い出 人は日々生まれ変わる

僕らはどこかで間違った 下手くそな生き方を学んだ

人として生きる意味

明日には夢叶う 夢叶う いい風が吹く

人として生きるため 大切な何か忘れてる


小さな頃描いた夢は いまでも消えず心の奥

夢追うこと忘れたあなたをいつまでも優しく待ってる

現実の海に溺れ 常識に泣くヒマはない

ありのままのあなたの姿で 好きなことをやるだけさ


by モンゴル800 「夢叶う」


全歌詞は、うたまっぷで、どーぞ☆
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=66674

 

 

2007年10月18日

ありがとうございます。

私と出会ってくれて、ありがとうございます。

何十億という人口の中から、出会えた喜び☆

すべての出会いは、きっと、必然。

出会いを通して、たくさんの気づきや学びをいただき、ありがとうございます。

どんな出会いからも学ぶことはあり、きっと宝物。

おかげさまで、私は、こんなにも成長しました。

これからも、「出会い」から、私は多くのことを学ぶでしょう。

心から、感謝です。

私と出会ってくれて、ありがとうございます。 

 

2007年10月15日

「全ての存在は響きあっている」

先日、「地球交響曲~ガイアシンフォニー~六番」

上映会があったので、観に行きました。

見終わっての感想・・・

「ブラボーーーぅ!!!!」

素晴らしい言葉が、ほんとに、たくさん、たくさんあって書ききれない!

深く、心に響きました。。。

もう、ほんと何を書いていいのか分からないけれど、

クジラの歌について、ほんの少しだけ書きますね。

私、クジラが歌を唄っているなんて知りませんでした!

クジラの歌の部分では、私、泣きましたよ、はい。

1977年に打ち上げられた惑星探索機「ボイジャー」にも、

地球の様々な音とともに、クジラの歌のレコードが積んであるそうです。

いつか、はるか彼方の宇宙人が聴くかも。

様々な周波数を使って、あるフレーズを、そのまま繰り返したりするんですよ!!!

その歌が、とても美しいんです。

来年は、クジラに会いに行かなくちゃ!



とにもかくにも、なんて、素晴らしい映画なんでしょう!

あーぅ、この感動を言葉で表しきれないのが悔しい!



ウィキペディアフリー百科事典による「ガイアシンフォニー」の説明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2


地球交響曲~ガイアシンフォニー~公式サイト
http://www.gaiasymphony.com/

 

 

2007年10月11日

たいよう


 

 

2007年10月09日

「ZEN」

「坐禅和讃」  白隠禅師

衆生本来仏なり     水と氷の如くにて

水を離れて氷なく    衆生の外に仏なし

衆生近きを知らずして  遠く求むるはかなさよ

譬えば水の中に居て   渇を叫ぶが如くなり

長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず

六趣輪廻の因縁は    己が愚痴の闇路なり

闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき

夫れ摩訶衍の禅定は   称嘆するに余りあり

布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等

その品多き諸善行    皆この中に帰するなり

一坐の功を成す人も   積みし無量の罪ほろぶ

悪趣何処にありぬべき  浄土即ち遠からず

辱くもこの法を     一たび耳に触るるとき

讃嘆随喜する人は    福を得ること限りなし

況や自ら廻向して    直に自性を証すれば

自性即ち無性にて    已に戯論(けろん)を離れたり

因果一如の門ひらけ   無二無三の道直し

無相の相を相として   往くも帰るも余所ならず

無念の念を念として   歌うも舞うも法の声

三昧無礙の空ひろく   四智円明の月さえん

この時何をか求むべき  寂滅現前する故に

当処即ち蓮華国     この身即ち仏なり



朝4時に起きてしまい、ネットサーフィンしていたら、興味深いサイトにたどり着き、
そこに「白隠禅師」や「禅病」のことが書かれていました。
私は禅のことを残念ながら、ほとんど知らないのですが、「白隠禅師」のお名前ぐらいは知っています。

禅の世界かぁ・・・
私のこれまで生きてきた道では、まったく接点がなかったなぁ・・・
若い頃は、毎週末になれば、那覇のクラブで踊り明かしていたあの私が「禅」という「言葉」を知っただけでも奇跡(笑)!

9月のはじめ頃、東京に行く予定があったので、
上野の博物館で開催されている「京都五山「禅」の文化展」を観に行こうと考えていたのですが、結局、東京に行く予定がなくなってしまい・・・
まぁ、そのまえの「インカ・マヤ・アステカ展」に行けただけでも、幸運でしたが(^ ^)☆

それにしても、少し調べただけですが、禅にも、宗派があるんですね!
祖先崇拝が主の沖縄で、沖縄生まれの沖縄育ちの私は、「お寺」のことは全然分かりません。
というか、私が知らないだけか・・・?
いや、私の友人たちだって、多分、よく分からない子が多いはず。
沖縄って、ほんと、祖先崇拝が多いんでしょうね。

そうそう、「北谷長老」が大好きな私(笑)。
私にとって、島酒・泡盛といえば、「北谷長老」です(笑)。
その泡盛「北谷長老」のネーミングは、確か、実際に「北谷長老」と呼ばれた方がいて、その方は確か「禅師」だったと、ボトルの箱に書かれていた気が(? ?)。
私は、軽い記憶障害なので(笑)、今度、箱があるとき、ちゃんと書きますね(^ ^)。

さて、話しを戻して、上記の「坐禅和讃」ですが、
漢字ばかりのものは、意味がまったく分からないのですが、
この「坐禅和讃」なら、部分部分で、少しは理解できます。
・・・っていっても、私の「少し」は、0.01ミリぐらいの話ですよ!!!
いや、もっと小数点が必要かも・・・


衆生本来仏なり     水と氷の如くにて

水を離れて氷なく    衆生の外に仏なし

衆生近きを知らずして  遠く求むるはかなさよ

譬えば水の中に居て   渇を叫ぶが如くなり

長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず

六趣輪廻の因縁は    己が愚痴の闇路なり


頭の悪い私には、自力では、この部分までしか理解できず、読めません(^ ^;)。
でも、この部分を声にするだけで、気持ちが静かになります(^ ^)。
よっし、今度、時間作って、後の文の意味も調べようっ!
さてさて、子どもちゃんズが、起きてきましたので、今日は、このへんで。
朝の準備だーーー!


「当処即ち蓮華国  この身即ち仏なり」 

 

2007年10月04日

おめでとう!

自分に、「おめでとう!!!」 と言いたい(笑)。

探求の旅に出かけて以来、

私、ほんと、ずっと考え込んでいた。

「よく、生きてたなぁ・・・。」と、自分に感心してしまって、笑ってしまった(笑)。

さ迷い続けて、フラフラしていた。

まったく中心が定まらず、あちらこちらフラフラ。

主人に、「私、この1年、変じゃなかった?おかしくなかった?」と、

尋ねてみたら、意外な返事。

「ん?・・・いや、何か考えているような感じは多かったけど、

・・・・・フツーだったよ。」

しょえーーーーーびっくり!びっくり!びっくり!!!!!

私、ちょっと前に「このままだと、私、死んじゃうんじゃない?。」って・・・

言ったじゃーーーん(爆)。

そりゃあ、体は元気でピンピンしてるし、ぱっと見は、フツーだから、

多分、そんなに追い詰められているって感じじゃなかっただろうけど、

かなーり、真剣に、「あれ?私、このままだとヤバくない?」って、

思ったんですけどガ-ン

これって、パッと見は、分かんないのかな(? ?)。。。

とてつもなく大きな悩みがあって、苦しんでいるわけではなく、

ただ、「真理」とか、「悟り」とか、「生きる目的」とか、そんなものを求めて、さ迷った。

結局、私は、それをまだ体験していないけど、

「みんな、はじめから悟っている」ということが、なんとな~く分かるから、

大きな体験もないけど、私も、悟っているのでしょう(笑)。

とにもかくにも、私は、今、生きているーーー!

よくぞ、生きていてくれた!

おめでとう、私 チョキ

在るがままで、私は、いいのだダーーーーっ!

信頼の中、今を生きるのダーーー♪ 

 

2007年10月02日

自分を愛する

「自己愛」に捕らわれ過ぎてしまった。

子どもと一緒にいる時、

そりゃあ、イライラしたりすることもあったけど、

それでも、

一緒に図書館や公園やお散歩に出かけたり、ただ雲を眺めたり、楽しかった。


ある日、自分を愛せなかった私は、

自分を愛する大切さを知りました。

これからは、「自分を大切にしよう」と、

自分だけの時間をたくさん作って、

学びのためにいろんなセミナーにも出かけました。

そして、気づいたこと。

いつの間にか、子どもたちといる時の私が嫌になりました。

子どもに向き合えない。

子どもたちを愛しているのに。

私は、探求に出たばかりに、

「今」にいなかった。

「子ども達と接している自分が大好きだったのに!」

好きなことをしていたのに、

私は気づかなかった。

「〜しなければならない」ことだらけだと思ってたけど、

「〜したい」と「〜しなければならない」を、キチンと見極めなくては。


今回も、子ども達を通して、大きな「気づき」がありました。

感謝(^人^)☆
 

 

2007年10月01日

何かしなくちゃ

いけないことは、何もない。

もう、すでにやっている。 

 

2007年10月01日

「在る」

私、何を求めていたんだろう。

子ども達と、お散歩しているとき、

いつから、別のことを考えるようになったんだろう。

子ども達と、おしゃべりするとき、

いつから、テキトーな返事をするようになったんだろう。

子育ては大変だけど、とても楽しかったのに。。。


苦しい。

何かを求めるようになってから、苦しい。

でも、苦しいものが、本物であるわけない。


答えは、ずっと前に、ずっと前に出していたのに、

どうして、あのとき、受け入れなかったんだろう。

ただ、「在る」ということ。

頭で理解するのではなく、腑に落ちた。

私は、ただ「在る」だけでいいと知っていたのに、

いつから、何かを追い求めるようになったんだろう。

そのままでいい。

私は、私のままでいい。

必要なものは何もない。

答えを探しに、もう、どこへも行かない。

何かを足したり、何かを引いたりする必要もない。

こう書いているだけで、ハートが解放される。

何かにならなくてもいい。

何かに憧れなくてもいい。

私は、私。

何もしなくていい。

ただ、今を味わえばいい。

必要なとき、必要な何かが、そのとき、天からプレゼントされるでしょう。

何かを追い求めて、私は、いろんなところへ行ったけど、

私が、「在るがまま」で、「今」に、くつろがない限り、

どこへ行っても、何を聞いても、何をやっても、誰と会っても、満たされないでしょう。

どんなに美しい場所に行っても、

どんなに美味しいランチを食べても、

どんなにオシャレに着飾っても、

どんなに素晴らしいセミナーを聴いても、

どんなに真理を説いた本を読んでも、

心の奥は満たされない。

それらを必要だと感じれば感じるほど、私は、それから遠のいてしまう。

それらを必要だと思い込むほど、私は、「在るがまま」から逃げている。

何か求めれば、私は、永遠に探求者。

在るがままを、私が受け入れない限り、私は、永遠に彷徨う。

私は、いま、在るがままの私で、ここにいる。

私の新たなステージが始まります。 

 

2007年10月01日

明日

明日のことは、

明日の私が面倒みるから、

たった今、起きていることは、

今の私が面倒みましょう。